ミシック先生の授業 (モンゴルの思い出)

  萩原 守


 満洲語という言語を、皆さんはご存じであろうか。映画『ラストエンペラー』で知られる中国・清朝の皇室は漢民族ではなく、本来狩猟を生業としていたツングース系満洲族の出身であるが、彼ら満洲族が話していた言葉こそ、満洲語と呼ばれる言語である。現在ではその話し手がほとんどいなくなってしまったが、清朝一代を通じて大量の文書史料が満洲文字による満洲語で書き残されている。
 ここで話すミシック先生は、モンゴル国立大学(在ウランバートル)文学部モンゴル語学科でこの満洲語を教えていた教官である。私がかつてこの大学に学んだ時(1983〜95年)、最も楽しくかつ印象的だったのがミシック先生との個人授業であった。
 当時のモンゴル人民共和国(現在のモンゴル国)には、「満洲語の達人」として有名なシャーリーボー先生、シャルフー先生、そしてこのミシック先生、という計三人の老学者がいた。モンゴルでは一八、一九世紀を通じて清朝の支配下で満洲語の档案(公文書)を使う機会が多かったため、満洲語が死語に近くなってしまった現在でも、その伝統がしっかりと残っているのである。
 先生は当時既に七〇才近い(革命前の生まれ)年齢で、一八才の時から五十年以上教師を勤めているという小柄なおじいさんであった。私が共同職員室に入っていくと、いつも老眼鏡をずらせたままこちらを見上げ、にこにこしながら私を迎えてくれた。
 先生は大変ユーモアのある人で、辞書にない単語が出てきた時など、モンゴル語で解説する以外に、動物名ならいちいち鳴き声やその動きを真似し、動詞なら部屋いっぱいに体を動かして説明してくれた。祭日前などは特に機嫌が良く、「休んで給料がもらえるのは、年寄りには一番良い」といってみたり、羊の肉が売り出される時間には、「今こうやって授業をしているうちに、肉は売り切れてしまうんだ」とぼやいてみせたり、とにかく楽しい人であった。
 この授業で私は、二次大戦中に日本人が写真出版した「トゥメト旗文書」という清代内モンゴルの档案史料集を読んでいた。私はその内の満洲文文書を、毎回一、二通ずつ必死になって読解予習した上で授業に臨んだ。
 ところがミシック先生は、初めて見るその満洲文档案を清朝時代の書記もかくやと思われるほどの速さですいすいとモンゴル語に翻訳していく。まるで自動翻訳機だ。長い文書もみるみる間に読解が終わってしまう。勿論、辞書など一切用いない。全ての語彙は頭の中に入っていて、未知の単語も、意味を知るとその場で覚えてしまうのである。
 元々モンゴル語と満洲語は言語系統も文字(縦書きの表音文字、左から右へ改行)も大変近く、単語もほぼ一対一の対応関係にあるため、両方に習熟するとこういう自動翻訳機のようになれるのであるが、当時の私としてはまさに驚愕の一語であった。
 ミシック先生とはこういう先生である。楽しくて、達人で。この先生に会えただけでもわざわざ留学に来たかいがあったというものだ。遊牧生活や馬・相撲などがとかく強調されがちなモンゴルだが、こういった優雅な学術的伝統があることも決して忘れてはならない。昨年、私が久しぶりにウランバートルを訪れた際にも、ミシック先生は例のにこにこした笑顔で元気に迎えてくれた。うれしかった。
 さてここで少し余談を述べる。前述の文書集には、たまたま一八、一九世紀内モンゴルの帰化城(現在の中国内蒙古自治区フフホト市の旧城部分)周辺でのモンゴル人と漢人(いわゆる中国人)の訴訟、特に土地争いの訴訟文書が大量に含まれていた。大抵、モンゴル遊牧の地主が、長年漢人農民に土地を耕地として賃貸し続けた末、とうとう漢人にその土地を乗っ取られてしまうというパターンの事件であった。モンゴル人の地主は訴訟の中で、本来自分の物であった土地が不法に乗っ取られたことを涙ながらに切々と訴えかけ、さらには遊牧に使う草原が漢人農民に耕されて遊牧できなくなったことや漢人商人の飼っている家畜が良い牧草を先に食べてしまうなどということまで役所に訴えている。
 勇壮無比なはずのモンゴル人もこの時代には既にかたなしであるが、ともかくこの種の訴状を毎週次々と、私が満洲語で読み上げ、ミシック先生が大声でモンゴル語に訳していた。先生は、訳している内にだんだん機嫌が悪くなってきて、翻訳の合間に「何というあくどい話だ」「とんでもない連中だ」というような合の手を盛んに入れて、モンゴル人側を応援し始める。私は苦笑している。
 当然、同じ共同職員室で勉強している他のモンゴル人教官たちもミシック先生の声が耳に入ると、内容が内容だけに、だんだん気になってくる。昔の話とはいえ、同じモンゴル人同胞が漢人にいじめられて助けを求めているのである。「漢人農民の不法な耕地を平らにならして元通りの草原にもどしてしまえ」という主旨の判決文を読んでいた時など、学科長のロプサンドルジ先生が我々の席までわざわざやってきて、「全くもって胸のすくような判決ですなあ」と、ほっとしたような満足気な顔で感想を述べられた。
 現在モンゴル国は資本主義化して、次々に流入する中国資本の役割が増大化しつつあるのだが、その一方でなおモンゴル人の、中国に対する警戒心が根強いのは、やはりこういう歴史を経験してきたからだと、今になって改めて認識する今日この頃である。

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