シーギリヤ・グラフィティ
シンハラ文字とブラーフミー文字、そしてフェニキヤ商人

丹野冨雄

 驚きました。スリランカには活版やタイプの印刷文字ばかりしかないだろうだなんて高を括っていたのですが、コンピューターのソフトに新しいスタイルのシンハラ文字が作られていました。でも驚くほうがいけませんね。コンピューターが作る社会は世界を同時に進歩させる−覚醒させる、でしょうか−、そういうオーガニックな世界ですからね。いくらスリランカに縄文の「夏」の匂いが強く漂っているにしても、印刷という技術があるからにはシンハラ文字に新しい印字の方法。スタイルが現れたって当たり前なんです。でも、これって、感覚としては、どうも江戸時代にコンピューターとソフトがあって羽織袴の武士が文机に正座してキィを叩いて記録をワープロ言語に組換えて保存したりエレキテルで送っているという感じ。時代と文化のスタンスが幅ありすぎて私の短い足ては跨ぎ切れない、て感じです。「遅れてる」のですね、私の認識。コロンボにスター・コンピューター・システムという会社があって、ここにシンハラ文字のソフトがありました。
こういう便利な会社がスリランカのシンハラ語の世界にもあると知ったのはヌワラエリヤの山の中にいるとき、ヌワラエリヤ印刷という会社で受付嬢にマネージャーとの面会を申し込んでいたときでした。サロマをまとったおじいさんが、私の「小部数の印刷」という話を脇で聞いていて、「それならコンピューターがいい」と口添えしてくれたのが発端。でも、やっぱり驚きますよね、やっと電動式のタイプ・ライターが出てきたばかり、街では手動のタイプ一台を元手に文字の書けない人相手の代書屋さんが繁盛しているというのに、その一方では写植を通り越してコンピューター文字が出まわっている。まあそういう文化は日本では当たり前なのだから、文化なんて隠さなければ必ず波紋のように広がって行くのですから。
さて、今回、初めてシーギリヤという観光地へ行って来ました。十年以上もスリランカと付き合っているのですが、私はだいたい朝市を方々ふらつくばかりでしたから、観光地というものをいまだよく知りません。
 実はシーギリヤへ行ったのはスリランカの、シンハラ語の昔の文字をこの目で実際に確かめたかったからです。地元の人がクルドゥ・ギー(壁を引っ掻いて書いた歌…かしら)と呼ぶ落書きがシーギリヤの岩の壁に彫られているので、それが見たかったのです。
 それがとても小さな文字で、シンハラ人の目がいいことは有名ですが私たち日本人の目には見えないぐらいです。でも、それらの落書きの中に「蓮華を手に取り」というフレーズの落書きがあるはずなのです。それは、その「手に」と日本語で言うときの「に」がシンハラ語でも「に」と言った、ということが証明される落書きなのです。つまり、日本語の助詞「に」がシンハラ語でも「に」だったという訳。そんなことが分かるのだから落書きって馬鹿にできないんです。だからガード下の暴走族スプレー文字やトイレの変態オガム文字も保存しておけば、結構、歴史資料や文化財になるはずです。

シーギリヤ・グラフィティ(シーギリヤの落書き)

さて、シンハラ語は日本語で話せる、というのが私の持論。というよりは私はそうしてシンハラ語を話すわけですから、この「に」は大切です。でも<シーギリヤ・グラフィティ>に載っているその「に」が探せませんでした。文字が小さすぎてとてもじゃないが読めない!落書きばかりで一体どこにあるかも分からない!でも、代わりにこんな文字に出会いました。噴水の道をまっすぐに岩山へ向かうと土産物売りがたくさん押しかけてくる当たり、岩山の登り口にあるんです。文字の意味を紹介する看板も立っていました。
シンハラ人はブラックマーと訛るんだけどブラーフミー文字とかいうやつですよね。シンハラ語が今の変体少女文字っぽいのを編み出す以前、こうしたガチガチの尖った文字をこの島でも使っていたんですね。私にはチンプンカンプンですけれど、「この洞穴は何々坊という坊さんに捧げる」なんて彫ってあるらしい。入り口からちょっと離れて右へ行くと、よりはっきりとした古代文字の刻まれた洞窟があります。
 この文字を見て改めて知ったのですけど、シーギリヤって、仏教の坊さんが修行する山だったんですね。それをカッサパという王がぶんどって山城をつくり、あろうことか岩山の壁にグラマラスな、豊かな乳房をぐいぐいと見せつけるアジャンタの壁画にあるような女性の裸身をいくつもいくつも描いてしまった。まあ、今はその裸身が拝みたくて世界中の観光客が集まるのですからそれもいいことだけど……。オランダ人の観光客だってここへ来るとシーギリヤ・レディに出会って鼻の下を長くして明るい笑顔になると言うし……。
 でも、このブラーフミー文字というやつ、どこかで見覚えがありませんか?アメリカにあるんですよ、これと同じような奴。
 北アメリカの東海岸や南アメリカのブラジルにこうした形の文字が、やはり、岩に彫られているんです。これ『紀元前のアメリカ』(バリー・フェル、草思社1981)に載っているものです。パーカーの『古代セイロン』に紹介されている文字もついでに参考にしてください。
 
左)『古代セイロン』に紹介されている文字 (右)『紀元前のアメリカ』に載っている文字

アメリカの文字はフェニキア人が残したと言われているんですね。フェニキアって商業国家です。彼らはフェニキア語をこうしてイベリアの文字でアメリカ大陸に書き残している。古代日本人が漢字の音を使って日本語を書き残したようなものでしょうか。海運で世界を股にかけた、あの堺屋太一さんが日本に似ていると言った小さな国です。
フェニキアの商船は中国まで行ったそうですが、そうした船がスリランカを古代に訪ねたという痕跡が、もしかするとこんな所にこうしてあったのかも。
 ロバート・ノックスの『セイロン史』にカンディの町の近くに訳の分からない文字を刻んだ岩がある、なんて記述がありましたが−私はまだ確かめていないのですが−これもブラーフミーの文字かも。それともフェニキアの商人、葡萄酒を持ってその山の中まで売りに行ったかしら。
 日本の各地にも古代文字らしきものはあるのですから、後世の贋作とか、頭から「ウソ!」と決めつけないでもっと慎重に見るべきかも。縄文人相手に交易していたフェニキア人が居たって別におかしなことじゃあない。フェニキアの葡萄酒の壺でも縄文遺跡から出てくればの話だけど…。いや、出てこなかったら、我らが祖先の縄文人、みみっちく計り売りで買ってたなんて事も……ないかぁ。



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