「儀礼的な部族戦争」とは?
 儀礼的な部族戦争では、一人死んだら終わりとか、三人死んだら終わりとかのルールで戦争します。だいたい年一回ですから、人口の増え方で、人数は決まっていたと思います。イモの導入で、人口が増えて、「3人死んだら」というような贅沢な戦争ができるようになったのだと思います。思えば、その時代、自殺も交通事故もなく、マラリアもなかったニューギニア高地は、戦死者の比率というのは、問題にならないくらい低かったと思います。現代に比べればの話です。
 イモと稲は、ほとんど同時か、稲の方が早くニューギニア島に伝わったはずです。日本では、江戸時代がはじまる頃、イモ栽培を選択したニューギニア高地は、やがて人口を爆発させます。灌漑農業の遺跡も見つかって、ニューギニア島が世界最古の農業発生の地であったことがあきらかになりつつあります。しかし、あるとき人々は灌漑農業を捨てて、イモ栽培を選びます。
 その理由は、儀礼的戦争文化の楽しさにあったと思います。ニューギニア島では、畑の仕事は、女の仕事なのです。稲作の普及などにいろんな国が、たくさんのお金を使っていますが、男が田んぼで働きたがらないという最大の障害に立ち向かおうとする「国際協力専門家」は、まだ現れていません。ニューギニア島で稲の栽培が選択されなかったのは、イモだけでも戦争が続けられるという「発見」にあったからだと私は見ています。人は、「効率」だけでは生きていないのです。「お米のほうが金になる」というのは、現代の論理だと思います。