■第2回■■本の値段のこと■


せどり男爵数奇譚
梶山季之
(河出文庫/1983年)
 新古書店を覗いた。新古書店とはあのブック・オフに代表されるリサイクル古書店のことだ。その本の来歴とか価値とかはいっさい関係なく、汚れ具合だけで値決めされる新しいタイプの古本屋だ。出版社在庫の処分先としても利用されているとか聞く。
 最初は定価の6掛けコーナーの棚に差し込まれ、3ヶ月経っても売れなければ自動的に100円均一のコーナーに並べられる。商品回転率のみが唯一絶対の経営戦略の店である。それ以外の価値を本そのものには認めない。ある意味じゃわかりやすい。初版がどうの、絶版ものがどうの、著者がどうの、版元がどうのなんていっさい関係なし!
 ここ何年か、定期的にそういった新古書店のはしごをするのが趣味になっている。
 さて、先日のことである。例によって100円均一コーナーの棚を上から下へ、左から右へと目を流していると、『上野英信集』(径書房)の第3巻から5巻までが無造作に差し込まれているのを発見。うーむ。定価は平均3500円。それが100円均一である。もう一度言おう。3冊の総定価が1万数千円。これが300円。うーむ。しかも径の本である。一般書店でも入手しにくい。こんなことがあっていいのだろうか、と正しい読書人を装ってしばし棚の前で唸ってみせたが、正直、嬉しい。
 こういうことがあるから新古書巡りは止められない!なんて思うのだが、もともとは話題書をひっそりと買うために利用していた。テレビや新聞で話題になる本が生まれる。ときには数百万部も売れるベストセラーがある。でも絶対に買わない。話題書は嫌いだ。意地でも読まない。だって恥ずかしいじゃないの、みんながみんな読んでる本を付和雷同して買うような行為。いい中年のおっさんが太宰治をレジにもっていくより恥ずかしい行為である。けど、やっぱり読んでみたい本がたまーにある。こういう場合、新刊書店では買わない。すでに何十万部も売れてるんだから半年もすれば新古書店へどかーんと押し寄せてくるのは目に見えている。で、その時期になって、まだ読みたいという気持ちが失せてなければ(たいていは興味なくなっている)、100円で買う。ブームが去った祭りのあと、十分に冷却期間をおいておもむろに買う。大人の行為である。これが新古書店の正しい利用法であるのだ。例えば、飯島愛ちゃんの『プラトニック・セックス』はブック・オフで買う。ふふっ楽しみだなあ…。
 という初志もどこへやら、最近ではこれが一般古書店であったらナンボするか?を考えながら、その価格が乖離していればいるほど快感を覚える。古本屋の「せどり」のおやじである。しかも時にはその本が自分の興味の範囲外のものであっても、まっ100円だからいいか、と買い込んでしまっている。読みもしないような本がどんどんたまる。バカである。そんな今日この頃であります。
 さて、『上野英信集』を3冊、レジにいそいそと持っていくと、レジ係のにいちゃんは「210円でーす」とのたまう。こいつもバカである。3冊で300円。消費税15円で315円ではないか。儲かった!と思ったが、100円のこと。いい中年のおっさんが100円儲かったと喜ぶのは大人の行為ではない。ここは正直に1冊100円の本は3冊で300円を超える旨をこの若者に教えてやるのが正しい。
「にいちゃん、これ3冊やけど…」
「はい!お客さん、3冊お買いあげいただくと3冊で200円になるんですよ。税込みで210円となります」
 ゲッ!3冊買うと1冊がおまけになってついてくるということか。うーむ。うーむ。ここまでくると素直に喜んでいいものなのか。径にたいして、上野英信にたいして、失礼じゃないか!いや、絶対に失礼な行為であるぞ! …で、今回紹介しようと思ったのは『せどり男爵数奇譚』(梶山季之・河出文庫)。実は20年近く前に読んだ本なので中身はさっぱり忘れてしまっている。今回の「せどり」だけの関連です。では、また。(
平七丸)

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