●海───────ラオスにないもの【3】

果物屋さん

籠売りの少年

豆腐屋さん
 海に囲まれて育った日本人は、海のない環境をイメージしにくい。ましてや、人間にとって海がどのような感覚をもたらしてきたかを考えるなど、ふつうは考えもしない。考える必要もないのだが。
 海と切り放たれた環境に置かれて、初めて人は海が身体の感覚と分かちがたく存在していることに気づく。もちろん、気づかない人もいる。というのも、現代社会を生きるうえで、海があるかないかなど、多くの人にとって関係ないからである。ラオスに生活している日本人も、海について考えたりすることはほとんどないようだ。考えるのは、「たまには、おいしい刺身が食べたい」というようなことである。
 一般に、海を哲学しても、なにも始まらない。「ラオスには海がない」。それで終わりである。ただ、海辺に育った者が、海と完全に切り放たれた環境におかれたとき、時として海が哲学の対象になることもある、ということである。
 日本に数年留学したラオス人のことを思い浮かべてみる。彼、あるいは彼女たちは、海のないラオスから海に囲まれた日本の環境と対比させて考えただろうか? 海が人間に与える影響について考えることがあっただろうか? 10人を超える元留日学生と接してきた経験では、彼らは、とくに海について考えたりしていないようであった。
「海の魚がおいしかった」というだけである。ラオスには近代哲学は、ほとんど紹介されていない。だから、遊びで哲学することもない。「構造主義」とか「ポストモダン」などという概念は、知識人とされる大学卒業者の頭のなかにも(ほとんど)存在しない。共通の概念が少ないので、議論が成立しにくい。「おいしいか、おいしくないか」のほうが問題なのである。そういう意味で、ラオス人は現実的である。
 かつてラオスは、海の港を求めてベトナム南部のダナン港に通じる道の整備に力を入れたことがある。首都ビエンチャンから最短距離の海の港をめざした。しかし、道路は整備されても、ダナン港への輸出入はそれほど増加していない。少し遠くても、タイ国のバンコク港が、あいかわらずラオスの輸出入の基地になっている。なぜなら、バンコクの港は、ビエンチャンと平地の高速道路でつながっており、便利だからだ。タイの基幹道路(高速道路)は、無料である。夜道も安全。山賊が「ときどき」出没するダナン港への山岳道路は事故も多い。
 そんなことよりも、ラオス人は海の港にそれほど執着していない。ロシア人が不凍港を求めて1世紀以上も悪戦苦闘したことに比べれば、ラオス人の海に執着しない態度は考察に値する。
 とはいうものの、「ラオスと海」について、これ以上考えても仕方がないようにも思われる。

【著者紹介】庄野護(しょうの・まもる)
1950年徳島生まれ。中央大学中退。アジア各地への放浪と定住を繰り返し、文化・言語の研究を続ける。タイ、ベトナム、インドネシア、バングラデシュ、スリランカ、パプアニューギニア、ケニアなど、アジア・アフリカでの活動歴は40年、滞在歴は20年ちかくになる。多様なフィールド体験に裏うちされた独自の視点をもつアジア研究者である。著書に『国際協力のフィールドワーク』『スリランカ学の冒険』『パプアニューギニア断章』(南船北馬舎)、『学び・未来・NGO NGOに携わるとは何か』(共著・新評論)。現在、ビエンチャン在住。

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